【惜別乗車】東急8500系とお別れしてきました【引退】

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鉄道
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東急田園都市線を長年支えてきた8500系電車は、2023年1月25日に引退となりました。長い間、お疲れさまでした。日頃の鉄道ファンの振る舞いにコロナ禍であることも重なり、ピンポイントでラストランを狙うのは難しかったかもしれません。本記事は、東急田園都市線に育てられた筆者が「自分だけのラストラン乗車」をした記録です。ラストランを不必要に追うのをやめて、あるタイミングでこれが最後と決め、たくさんの思い出が詰まった8500系電車を静かに見送りました。また会う日まで。ありがとうございました。

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東急8500系について

東急8500系は、1975年から半世紀近く活躍してきた東急田園都市線を象徴する車両です。

前面に赤帯を配する他はほぼステンレス一色。堂々の10両編成。

8M2T(10両中8両にモーターが付いている)の編成で、その音が特徴的…というか、線路からかなり離れている地域にも走行音が届くほど、元気のあるモーター音でしたね。地下区間では車内放送が聞こえないこともしばしば。

1975年には中央林間駅も開業しておらず、半蔵門線もありませんでしたが、開発途上でまだ何もない沿線を駆け抜け、東急が手掛けるまちづくりを陰で支え続けました。その間、半蔵門線が[半蔵門][三越前][水天宮前]と徐々に延伸を続け、晩年は中央林間ー南栗橋という広範囲で活躍するようになりました。

筆者が生まれる遥か前から走っていた8500系。

たしかまだ幼稚園の頃、ちょっと夜遅くまで出かけたとき、新玉川線を走る8500系の急行に生まれて初めて乗ってワクワクしたのを今でも覚えています。親の同伴を離れて一人で乗った電車は8500系でした。小学校の遠足で国会議事堂まで行ったとき、その帰りに来たのが8642Fというちょっと特殊な8500系で、同じく鉄道好きの友達と大騒ぎになりました。初めての一人旅で夜行列車が発車する新宿駅に向かった時も、旅の第一歩は8500系でした。中学高校の毎日続いた通学を経て、大学受験の朝にも、いつもと変わらずに私を迎えに来てくれました。あ~、振られた日の帰りも。就職する日も、結婚した日も。生まれたばかりの我が子と乗ったことも…。

共に過ごした時間が長かっただけに、今回だけは本当につらい。

思い返しているのは私だけではないでしょう。

東急田園都市線沿線で生まれ育った人にとってはたくさんの思い出が詰まっている車両ではないでしょうか。

引退は突然の可能性

コロナ禍で県境を跨ぐことも控えていましたが、2021年に入って久し振りに田園都市線に乗った時のこと。

新しいもの好きの私は、次々に2020系がやってくる状況にワクワクしていましたが、そんな気持ちが一変したのは目的地に着いたとき。

そういえば…ん?あれ??

8500系が全くいない…

あれだけ多く走っていた爆音列車はどこにいったのか??

そのときにはじめて、慌てて東急田園都市線の運用情報を開きました。

見当たらないのも納得。このころには平日は3運用、土休日は2運用程度。今(2022年8月)では、土休日に運用に就くことはほとんどなくなりました。

コロナ禍で利用を控えていた間にこんなことになっていたとは。

しかしこれが8500系の今。

きっと最後の1編成も突然恩田に連れて行かれることでしょう。

下手に最終運行ダイヤを明らかにすると鉄道ファンが暴走しかねません。残念なことですが、我々はみな一括りにされてそのように見られています。これに加えて今はコロナ禍というご時世です。鉄道会社としても三密を避けなければなりません。

いつラストランになるかわからない。おそらくそれが現実でしょう。

お別れは各人で静かに見送りませんか

東急8500系は2023年1月25日に引退しました。引退済みである以上、この先の記事内容も役目を終えていますが、長年にわたって「お疲れさまでした」の気持ちを込めて、最後に乗車した際の記録として半永久的に残しておきます。

限られた運用での出現ですが、その運用範囲は東武線にまで及んでいて、’希釈’されています。

そのため、2021年の時点では「もう狙わない限りは会うことはできない」状態でした。

それに、いつ終わりになるか分からない状況。

それであれば、各個人で「自分にとっての最終運行」を勝手に決めてしまい、その日は運用を調べてとことん追いかける。そして、たくさんの思い出とともに、胸の内で別れを告げる。

そんな静かなお見送りをしようじゃないないか。

東急8500系に最終乗車

私にとっての最終運行は2021年7月中旬某日としました。

東京のコロナ感染者数が落ち着きませんが、コロナが明ける頃には確実に引退しています。心の整理をするために、最大限の三密を避けられる工夫をして向かいました。

幼いころに最も乗車機会が多かった神奈川県内のある区間で乗車。乗車率などを考慮して、中央林間16時24分発の上り方面各停南栗橋行きに狙いを定めました。

そうそう、このドアですよね。

窓を開けたらうるさいって…

夏場は扇風機の風が気持ちよかったですね。

車内はまだ落ち着きを保っています。最後に乗車をするタイミングとしては適切だったかもしれません。

青葉台やあざみ野、たまプラーザの各駅では撮り鉄のみなさんも写真を撮っていましたよ。各駅停車という運用を活かし、青葉台駅で撮影後に準急で追い抜いて、たまプラーザで再び迎え撃つ強者もいらっしゃいました。

私は写真はほどほどに、とりあえず目的地まで乗車。

走り去る8500系の背中に向かって、心の中で深くお辞儀をして見送りました。

これにて、私のラストランは終了。

もう二度と乗ることはありませんでした。

最後に

半世紀近く走り続けた8500系。

この日に乗車した8636Fは、2021年8月11日に引退しましたので、謹んでご報告申し上げます。

また、最後の赤帯であった8631Fが引退した時の様子を東急公式YouTubeで記録してくれています。最期の場所に向かうこどもの国線での力走や、パンタグラフを下す瞬間も収録されています。ハンカチをご用意の上、ご覧ください。
>> こちら

そして、最後の最後まで残り続けた8637Fが2023年1月25日に引退し、東急8500系の歴史にピリオドを打ちました。

長年にわたる東急線での運行、本当にお疲れさまでした。

そして、ありがとうございました。

私も後からそちらに向かいます。

そのときまで。

ではまた。

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