羽田空港におけるJAL516便と海保機との衝突事故により、全滑走路が閉鎖となったほか、一部復帰後も長期間にわたってC滑走路の閉鎖は継続され、多くの航空便に欠航が出ました。年末年始の帰省ラッシュと重なり、空の便は大混乱。その陰で、数えきれないほど多くの救いの手が差し伸べられました。今回は、その記録を一部でも残せるように、救済の臨時便を走らせた公共交通機関の活躍をご紹介します。
羽田空港衝突事故による影響
事故の概要
2024年1月2日17時47分頃、新千歳発羽田行きJAL516便と、羽田発の海保機(みずなぎ1号)が、滑走路上で衝突しました。
年末年始のUターンラッシュのお客さんを乗せた旅客機と、能登半島沖地震の救援に向かっていた海保機との事故。
詳細は調査中ですが、JAL516便が34R(C滑走路の東京湾側)から着陸しようとした際に、滑走路上で離陸準備をしていた海保機と衝突しました。
双方の機体は炎上し、海保機の乗員5人が亡くなってしまったことは残念でなりません。
一方、JAL516便の乗員乗客については、ペット2件を含む手荷物は焼失したものの、全員脱出に成功し、人命は守られました。
このことは、(責任追及ばかりする日本の一部マスコミを除き)各国のメディアやSNS上で称賛を受けることになりました。JALやANAの両社長も、日ごろの訓練、または訓練以上の成果が出たとして、乗員を讃えています。
また、乗客が乗員の指示に従い手荷物を持たずに脱出したこと、過度にパニックを起こさずに行動できたこと、脱出後の適切な行動があったことも、全員脱出に繋がったと言われています。
JALには何度もお世話になっている私。前日にもJAL機に搭乗していました。
普段は好き好んで頻繁に非常口座席を指定している私も、本件の事故に関しては蚊帳の外。
それでも、旅客機の全員が脱出したという最大限の結果をもたらした乗員や乗客の見事な行動は、同じ日本人として誇らしく思っています。
空港や滑走路の閉鎖による影響は甚大
直接的な影響を受けたのはJAL516便と海保機の乗員乗客ですが、この事故によって羽田空港は4時間近く全滑走路が閉鎖されたうえ、その後も当該のC滑走路は閉鎖が続きましたから、都市間移動に対する影響は甚大です。
この事故の影響により、羽田空港に向かっていた旅客機は別の空港に向かったり(=ダイバート)、引き返したり、出発を見合わせたりせざるを得ず、大混乱に陥りました。
また、翌日以降も3本の滑走路でのやりくりを強いられ、欠航が相次ぎました。
年末年始の休暇が始まる前であれば帰省の取りやめという選択肢もあったかもしれませんが、もう既に休暇に入ってしまっているわけですから、人々はどうしても移動する必要があったのです。
Uターンラッシュと重なり最悪な事態となる中で、行く手を塞がれた移動客に手を差し伸べたのは他の公共交通機関でした。
この記事では、陰の英雄とも言える、各交通機関の活躍をまとめまして、微力ながらその取り組みを讃え、後世に残したいと思います。
事故当日のサポート
全日本空輸(ANA)
事故が起きたのはC滑走路上。
34Rから進入し、停止するであろうエリア周辺は羽田空港第2ターミナルに隣接しています。
第2ターミナルはJALではなく、ANAが利用しています。
その土地柄もあり、事故が起きた直後に乗客の避難誘導を手伝ってくれたのはANAのグランドスタッフでした。
上着を着ないで脱出をしてきた乗客も多く、トイレに行きたいと訴える人もいらっしゃる状況。
ANAの整備士が連携し、近くに駐機していた小型機に明かりを灯し、トイレを貸し出したと言います。
スピードが求められる状況の中で、現場の適切な判断で行動できたことは大変に高く評価されるべきです。
時には上の指示に頼ることなく、現場の判断を尊重する社風を垣間見ることもできます。
SNS上ではANAを称賛する声が溢れる中で、「きっと立場が逆でもJALは同じことをしていただろう」との意見も見られました。
東海旅客鉄道(JR東海)
羽田空港が機能不全に陥り、各地から東京に向かう空の便は壊滅的となりました。
その状況で頼りになるのは陸の「新幹線」です。
しかし、頼りの「のぞみ号」は年末年始期間中「全車指定席」で、これ以上キャパがない状況。
JR東海は、このままでは乗客を運び切れないと早い段階で予測を立て、東京⇔新大阪間で最終ののぞみ号が出発した後に臨時ののぞみ号を全車自由席にて運行することを決めました。
臨時ののぞみ号は、上下列車ともに0時跨ぎで運転されました。
【下り】のぞみ269号:東京2142→新大阪2403
【上り】のぞみ262号:新大阪2150→東京2411
新幹線が24時以降も運転するような計画をあらかじめ立てることは極めて異例でありますが、事態を重く見て判断してくれた。
限られる人員をやりくりするだけでも大変だったと思いますが、臨時ののぞみ号には30~40%程度の利用があったとの情報があります(現地未確認)。
臨時の運行によって、多くの人が救われたとも言えますね。
西日本旅客鉄道(JR西日本)
前述のJR東海の動きにJR西日本も協力をしました。
0時跨ぎで運転される新大阪行きののぞみ号から大阪市内の各地へ向かう乗客のために、大阪環状線の終電時刻を繰り下げたのです。
遠く離れた羽田空港における事故のサポートに、大阪環状線も加わっていたということになります。
京成電鉄
羽田空港に着陸できない飛行機はどこに向かったのか。
羽田がダメなら成田だ、というのが一般的な流れであり、JAL516便のすぐ後ろを飛んでいた秋田発羽田行きJAL166便をはじめ、後続機は真っ先に成田へと向かっていきます。
成田空港も全力で着陸機を受け入れていきますが、到着は深夜帯にもつれ込みました。
本来、成田空港は飛行時間制限があるため、深夜の着陸は通常ではありえないことですが、このような緊急事態であれば起きうることです。
深夜の成田に降ろされた乗客の足を用意したのは「京成電鉄」でした。
高砂の車庫を出庫し、成田空港にむけて回送で駆けていく様子も目撃されていたようす。
成田空港25:00発、アクセス特急|京成上野行きを急遽手配し、終点の京成上野に到着する26:05まで、通常よりも2時間近く延長運転したことになります。
なお、JR成田線も、最終列車の発車時刻を24時まで繰り下げたとの情報もあり、千葉方面に向かう人はJR東日本に救われたものと思われます。
関鉄バス・関鉄グリーンバス
各航空機が成田に代替着陸する中で、スカイマークは行き場を失います。
成田に路線を持たないため、同社の整備士がおらず、成田から再び離陸するのにかなりの手間がかかるためです。
代わりに、スカイマークは「茨城空港」に拠点を持ちますから、羽田が閉鎖された中で茨城への代替着陸を決断します。
茨城へ着陸したのはスカイマーク966便と720便の2便。いずれも新千歳発羽田行きの航空機です。
着陸したはいいものの、陸の孤島と言われる茨城空港。周りには何もありません。
茨城空港と石岡駅の間はかしてつBRTで結ばれていますが、本数が限られます。茨城空港は、通常は自動車で来港される方が多いですから、普段はそれでも足りるのですが、羽田に着く予定だった「茨城空港からの移動手段を持たない乗客」を定期便だけで全員運び切るのは到底無理な話。
絶望の淵に立たされるところでしたが、ここで救いの手を差し伸べたのは、茨城県南・県央で活躍する関鉄バス、関鉄グリーンバスと、地元の出久根観光や近隣の池田交通でした。
茨城空港に到着した乗客を次々と乗せて、空港の最寄りであるJR常磐線「石岡駅」への輸送を行ったのです。
その状況を関鉄バスの公式アカウントがX(Twitter)でリアルタイムに発信。茨城空港に降り立つ乗客へのアナウンスが主な目的であり、最後の最後まで利用者に寄り添う発信が話題を呼びました。
その甲斐もあって、スカイマークの乗客は着陸後も安心して行動できたと言えるでしょう。
乗員も大変に助かったものと思います。
私事ですが、茨城県に居住する身として関鉄バスのことはそこそこ知っているつもりです。関鉄バスは、やらないときはやらない(=計画的な減便)が、やるとなったら徹底的にやる(=強引とも言える大増便)、そんなバス会社です。今回は徹底的にサポートしてくれました。
C滑走路再開までのサポート
これだけの大規模な事故となれば、後日にも響きます。
北海道旅客鉄道(JR北海道)
飛行機がないと東京に向かうのが難しいとされる札幌・新千歳で足止めを食らう人が続出します。
そんな時、JR北海道は黙って見てはいませんでした。
札幌から南千歳を経由し、新函館北斗や函館までを結ぶ臨時特急を急遽で設定。普通車全車自由席として運用しました。
この列車は、次項に示す臨時の北海道新幹線に接続し、新千歳空港で足止めとなっている乗客を救済することとなりました。
【臨時】札幌15:04→新函館北斗18:45(→函館行き)
※運転日によっては時刻が前倒しになっていました
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東日本の新幹線を管理するJR東日本は、JR北海道と連携し、新函館北斗発東京行きの臨時はやて号を運転することを決断します。
【臨時】はやて546号:新函館北斗19:04→東京23:36
※運転日によっては「はやて544号」として時刻が前倒しになっていました
はやてを名乗る新函館北斗発東京行きは初めて運転され、しかも全車自由席というのであるから、鉄道ファンにとっても話題性は抜群で、ネット上では一時騒ぎとなりました。
しかし、急遽仕立てた列車で、かつ指定席を構えないわけですから、はやてとして運転するのが妥当であるとの判断もあったことでしょう(はやての詳細はこちらの記事を参照)。
実際にはガラガラだったとも言われる臨時列車ですが、それでも乗客はいたわけですから、走らせた意味はあったのです。
東海旅客鉄道(JR東海)
東西の大動脈を担うJR東海は、事故翌日以降も可能な限りの臨時列車を走らせます。
本数は日によってまちまちですが、昼間の「定期列車の合間」を縫うように普通車全車自由席ののぞみ号を設定。
飛行機から新幹線に振り替えた乗客の突発的な輸送を担うことになりました。
当初は普通車全車自由席であった臨時ののぞみ号も、次第に指定席を設定して運行するようになり、供給力を増やしつつも利便性を確保。
少し話は逸れますが、JALは羽田ー那覇線の欠航を最小限にとどめていたのに対し、羽田ー伊丹線は大胆に(夕方以降全便を)欠航としていました。
これは、
- 伊丹空港の運用制限が厳しく、遅延させること自体がリスクである
- 東海道新幹線で代替することができる
ことなどが挙げられると考えられます。
つまり、JR東海の救済があったからこそ、JALは羽田ー伊丹線を大胆に欠航とすることができ、他の路線に振り分けることができたと言えるでしょう。
京浜急行
C滑走路を使用できなくなった羽田空港では、離発着の能力が3/4に低下しています。
そのため、羽田空港に向かうことができた便でも、大幅な遅れを余儀なくされていました。
そんな状況下で助けてくれたのが、羽田空港と品川・横浜方面を結ぶ京急線です。
羽田空港を深夜に発車する京急蒲田止まりの列車を品川まで延長運転したほか、京急蒲田行きの終電車を繰り下げ。
さらに、京急蒲田から川崎・横浜方面の臨時列車も手配してくれました。
羽田空港2358→品川2419(延長運転)
羽田空港2420→品川2441(延長運転)
→京急蒲田で快特横浜行きに接続
羽田空港2440→京急蒲田2450(増発)
→京急蒲田で快特川崎行きに接続
誰もが早く帰りたいであろう時間帯まで列車を走らせてくれました。
緊急突発的な支援について
このように、数えきれないほどの公共交通機関が手を差し伸べてくれたおかげで、混乱するUターンラッシュを乗り切ることができたのは事実です。
しかし、各社が臨時便を出すなどして対応したことを過度に美談とする風潮に対し、違和感を覚える人がいるのもまた事実でしょう。
それもそのはず。
ある程度、社会人経験があると分かることなのですが、ここで紹介したような緊急突発的な支援というのは、世の中ではわりとよくあることです。
モノを供給する製造業においては、BtoCだけではなく、BtoBのビジネスも活発なのですが、例えば、A社が材料を供給できないような深刻な事態に陥った場合は、競合他社のB社が自社として用意できる代替材を提案したり、生産能力を上げたりして、困っているお客さんに向けて助け舟を出すことがあります。
決して「十分な利益を取れるようなおいしい事業ばかりではない」のですが、社会に及ぼす影響が甚大であると判断すれば、赤字覚悟で動くことだってあるのです。
もちろん、この状況に至るまでに、お国の関係機関からの(半強制的な)要請が入ることもあるでしょうが、それ以上に会社としての使命感が勝ります。
公共交通機関に限らず、各会社は供給責任を担いながら、助け合って事業をしているんです。
こういう状況を知っている人であれば「空がダメなときに陸が動くのは当たり前だ」という感覚を持ってしまうことがあるかもしれません。
確かにその通りです。各会社の従業員として「やって当たり前」なのかもしれません。
しかし、その裏では、飛行機を管制する人がいる、鉄道を動かす人がいる、バスを運転する人がいる、運行を管理する人がいる、指揮命令に立つ人がいる、滑走路の復旧を進める人がいる。
本当は休みたいところを、休日返上で働いてくれる人がいる。
来るかもしれない出社指示に備えてお酒を我慢した人がいる。
せっかくの年末年始にお父さんやお母さんと一緒に過ごしたいのに、それを我慢した家族がいる。
そんな協力があってこそ、公共交通機関が動くのであり、助けられる人がいるのです。
そのことを決して忘れてはいけません。
そして、誰もが陰の英雄。
胸を張って生きていきましょう。
まとめ
羽田空港衝突事故の陰で、人々の移動を支えてくれた公共交通機関のご紹介でした。
- 全日本空輸(ANA)
避難誘導や脱出後の乗客のケア - 東海旅客鉄道(JR東海)
異例ともいえる0時跨ぎの新幹線増発 - 京成電鉄
夜中の2時まで臨時列車を運転 - 関鉄バス・関鉄グリーンバス
茨城空港からの旅客輸送サポート - 北海道旅客鉄道(JR北海道)
札幌ー函館間の臨時特急運転 - 東日本旅客鉄道(JR東日本)
異例ともいえる臨時のはやて号を運転 - 京浜急行
深夜帯の延長運転や臨時列車の設定
羽田空港のC滑走路は1月8日に運用再開となり、欠航便は順次解消される見込みです。
日本全国にまたがって支え合い、年末年始の輸送を乗り切りました。
のりものを広く扱うブログを運営している立場として、各位に敬意を持って本記事を公開します。
ではまた。